世界大戦から100年

世界連邦+

8月はとくに、平和や戦争について考える機会の多い季節です。

今年は、第一次世界大戦が始まって、ちょうど100年に当たる節目です。BSテレビ等で多くの特集が放映され、20代の頃に訪ねた冬のアウシュビッツ強制収容所跡の凍るような「寒さ」と、展示されていた犠牲者の生々しい記録が鮮明に蘇ってきました。来年は、日本にとっても、戦後70年。先の二回にわたる世界大戦を経て、どの国も、それ以前の戦争に比べてケタ違いの死傷者を出しました。

過去の歴史を教訓として、その後、人類は国際平和にむけてどのように努力し、いまどう結実しているのか、なにが課題で、めざすべき方向性はどこか、という視点の議論が今こそ大切であると思います。

21日、「世界連邦」の日本国会委員会の歴史と現況をお伺いしました。NGO時代、国連で関係者にお会いしたことがありますが、日本の活動をしっかりお聞きするのは初めてです。

私が政治家になる前に取り組んできたのが、まさにこうした地道な平和構築であったわけですが、広島と長崎への原爆投下をきっかけにアインシュタインや日本で最初のノーベル賞をとった湯川秀樹など科学者たちも支えたのがこの運動です。武力以外の方法で紛争を解決しなければならない、国家間の利害を超えた世界的な政治システムをつくる必要があるとして、国連の改革や国際法の強化に取りくんできた記録が残されています。例えていえば、EUの世界版、といった感じでしょうか。

世界連邦2+

振り返れば、日本では、昭和20年12月という終戦から4ヶ月しか経たないなか、国会において、尾崎行雄氏を代表として「世界連邦建設に関する決議案」が採択され、4年後の昭和24年に日本国会委員会が創設されています。委員会顧問に、吉田茂総理の名があります。

さらに、ほとんど知られていませんが、平成17年(2005年)に、戦後60年にあたる国会決議でも、世界連邦の実現へ努力することが謳われています。アフガン戦争、イラク戦争に対して日本の自衛隊の後方支援のありようを議論した国会と同じ場で、終戦直後に謳われた理念が国会で決議されています。

理想と現実の乖離した表面的な決議である、と冷笑するのは簡単ですが、厳しい現実を目の前にしても理念を掲げて実現をめざす姿勢を堅持し、戦後60年の節目に国会で決議していたことは評価したいと思います。出された決議には、それに対する国会の取りくみについて、国民は検証し、追求していくことができます。

東アジアの安全保障の環境や国際情勢が変化しているなかで現実的な備えが重要であることは当然ですが、一方、先の戦争を経て、多くの先人の努力によって引き継がれてきた平和の秩序をよりアジアと世界へ広げていく責務が日本にはあります。

来年の戦後70年にむけて、我が国は、過去と未来に対して、どんな国会決議を出すでしょうか。安倍総理は、昨年も、今年も、終戦記念日における戦没者追悼式の言葉のなかに「不戦の誓い」さえ、ありません。

ここに、戦後60年の国会決議の全文を記しておきます。―――――――――

「国連創設及び我が国の終戦・被爆60周年にあたり
更なる国際平和の構築への貢献を誓約する決議」      日本国衆議院

国際平和の実現は世界人類の悲願であるにもかかわらず、地球上に戦争等による惨禍が絶えない。

戦争やテロリズム、飢餓や疾病、地球環境の破壊等による人命の喪失が続き、核兵器等の大量破壊兵器の拡散も懸念される。

このような国際社会の現実のなかで、本院は国際連合が創設以来六〇年にわたり、国際平和の維持と創造のために発揮した叡智と努力に深く敬意を表する。

われわれは、ここに十年前の「歴史を教訓に平和の決意を新たにする決議」を想起し、わが国の過去の一時期の行為が他国民に与えた多大な苦難を深く反省し、あらためてすべての犠牲者に追悼の誠を捧げるものである。

政府は、日本国憲法の掲げる恒久平和の理念のもと、唯一の被爆国として、世界のすべての人々と手を携え、核兵器等の廃絶、あらゆる戦争の回避、世界連邦実現への道の探究など、持続可能な人類共生の未来を切り開くための最大限の努力をすべきである。

右、決議する。

平成十七年八月二日   日本国衆議院

以上