「日本帝国憲法」の地を訪ねて

今年、「日本国憲法」をめぐって様々な声や動きが出ているなか、
夏から秋にかけて、私は、町田市野津田にある自由民権資料館に通いました。

日本が近代国家をめざし国会開設や憲法の制定を求めた自由民権運動とは何だったのか、
「大日本帝国憲法(明治憲法)」ができる前、民間の人々によって
作成された現存する30種類以上の憲法草案とはどんなものだったのか、
なかでもで民主的で屈指のものであった「日本帝国憲法」、
いわゆる、「五日市憲法」についてもっと知りたいと思ったからです。

そして、一度行きたいと思っていた、
「日本帝国憲法」が発見された古い土蔵や「五日市憲法」の碑を訪ねてきました。
(*正式名称は日本帝国憲法です。旧五日市地方(現あきる野市)にあった
土蔵から発見されたため、五日市憲法と呼ばれています)

この憲法は、全部で204条からなり(205条と数える研究者もいる)、
そのうち150条にわたって基本的人権について触れていて、
「国民の権利」の保障(「臣民」ではない)と、
地方の自治権の保障を重視し、近代的立憲主義に基づいた、
今にも通じる、たいへん先見性のあったものと感じます。

天皇(国帝)の権利条項を充実させている点をもって、国民の権利の限界を
指摘する声もありますが、確かにその通りであるものの、あの時代ですから、
立憲帝政が前提です。しかし、そのなかにおいても150条もの条項の中に、
自由と人権の思想を盛り込ませていた事実の方に、私は大きく目を向けたいと思います。

特に、
日本国民ハ各自ノ権利自由ヲ達ス可シ 他ヨリ妨害ス可ラス
且国法之ヲ保護ス可シ」(46条)の一文は、特徴的です。
国民は、それぞれの権利と自由を得るために努力をすべきであり、
その努力を他は妨害してはならず、国はそれを保護すべし、としています。

つまり、単純に、国は国民の権利を保護すべしではなく、
国民の努力をきちんと書いているのです。

また、面白いのは、憲法改正の条項(第5章)について、
国会を一度解散して、総選挙を経て、改憲のためだけの特別議会を開くことが
決められている点です。改憲が済めば、特別議会は解散し、元の国会に戻ります。

憲法を改正するのは、やはり特別なこととし、
通常の国政を担う議員の仕事とは区別して、選挙し直すというプロセスを重視し、
民意をしっかり反映させようとしていたのですね。

憲法を起草した千葉卓三郎は、一人一人の自立した討論や議論を重視し、
それこそが文明開化に必要な文化であると考えていたようです。
当時の彼のメモには、すでに、「女性の政治権利」の項目も書かれ、驚きました。

時代は、その後、こうした言論の自由や集会の自由を奪い、
激化事件などが相次ぎ、明治政府による弾圧の嵐が吹き荒れますが、

そのような歴史を知れば知るほど、

今年から来年、もし、国会で現憲法の改憲案が発議されるとするならば、
こうして1世紀以上も前に、憲法に込められた自由や民権の思想や思い、
戦争を経て、現憲法で明記された自由と人権と平和の思想を、
本気で次世代に繫いでいかなければと心に誓いました。