表現の自由とは

 

夏。ゴッホだったら、何というだろう。
芸術とは、表現とは。

愛知県の国際芸術祭の一部である「表現の不自由展・その後」の、
「平和の少女像」などの展示が開催3日で閉鎖の事態に
追い込まれたというニュースが大きな議論を呼んでいる。

昨日、事務局を脅迫した犯人が逮捕されたと報道が伝えたけれど、
事実、暴力やテロに屈する形で展示中止に追い込まれたことは
本当に残念であるし、許されないことであると思う。

また、公金の補助を受けたイベントの出展作品について、
政府の意向に反するものは展示すべきでないと異を唱える声が
聞こえてくるが、まったく見当違いであり、真逆である。

仮に、政府の意向に添うものしか芸術作品として認めないという
プロパガンダのような「文化」の国を想像してみてほしい。
かつて社会主義国に、私は何度も足を運んだ経験があるが、
政治的に統制された「文化」ほど、息苦しく、
自由に対して恐怖心を植え付けるものはないと感じたことは忘れられない。

今回の内容に対して、不快な感情を持つ人も、嫌悪する人もいるだろう。
それが芸術なのか、と感じるものもあるかもしれない。

しかし、それも含めて、様々な感情が掻き立てられたり、
心がざわざわしたり、うっとり見惚れるものだけじゃなく、
色々な意味で心が揺さぶられるのが、そもそも芸術であり、
そう感じる自分自身を知り、思考することが、
本来の意味なのではないかと思う。

そして、そのような自由な機会を、
すべての国民に保障する国であることが、
先進的な民主主義の国の基本ではないかと私は考える。

民主主義というのは選挙制度があるからだけではない、と思う。

芸術には、表現の自由だけでなく、学問の自由も含まれる。
それらの自由を、個人に対して保障していることこそが、
民主主義国家である所以であるし、その根幹だ。

今回の展示中止の波紋が、改めて、
表現や芸術とは何かをみんなで広く考えたり、
その自由の大切さに自ら気づき守るきっかけになってほしいと願う。

 

 

 

 

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