今年の8月15日

 

知らなかった。

自分の故郷から目の前に広がる赤城山の裾野に、
日米開戦の直前から、
内地における唯一の化学戦部隊の演習場がおかれていた。
そこでは、毒ガスの実地訓練がされ、いま地元の国立病院は
かつて陸軍病院としてその傷病者を中心に受け入れていた。

そのことを、昨日、新しい沼田市庁舎で行われている特別展示で知る。
以下、その記録の一部である。

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「陸軍省大日記」の中で陸軍省建築課に起案された、
特殊演習場新設敷地買収の件、赤城演習場廠舎新設工事の件について。

特殊演習場新設敷地買収の件
副官より第五十一師団経理部長へ通牒案(陸普)

首題の件別紙の通実施することに被定たるに付依命通牒す
追て細部に関しては主務課長をして指示せしめらるるに付申添ふ
陸普第七一六六号 昭和十五年十月八日

(親展扱)別紙控は建築課に保管す
説明 
本件は習志野学校特殊演習場技術本部秘密兵器試験射場及び沼田に新設せらるる迫撃砲連隊の演習場として供用のため買収するものに付之か経費は前二者に対しては演習場射撃場及架橋場其他整備費、後者に対しては兵備改善費予算を充当するものとす。
尚 前二者の演習場射撃場及架橋場其他整備費の残(四一二,〇〇〇円)は地役権設定、軍道施設及立木整備等本演習場の為使用の予定
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「沼田に新設せらるる迫撃砲連隊」とは、当時内地における唯一の化学戦部隊とされた迫撃第1連隊(東部第41部隊)のことであり、島根県松江の歩兵第63連隊内に編成されたものであることが、別資料からわかる。

この起案から、赤城演習場が単なる演習場ではなく、射撃場は秘密兵器試験射場であることが読み取れる。

自分の通っていた中学校の校舎がかつて陸軍兵舎であったことは
聞いていたが、こうしたミッションを持つ連隊だったとは衝撃的であり、
周辺に聞いてみたところ、誰も知らないものだった。

この地域は、群馬県の中でも山間部にあたり、
当時、多くの人が都市部から疎開してきた場所である。

そのような場所で、資料には、毒ガスの入った撒毒車や迫撃砲が
キャリアに引かれ町の真ん中を通過して、
山中の演習場に入っていたことも記録されている。

なぜ沼田の地だったのか、
秘密兵器はどこでどのように作られたのか、
その後、部隊はどこへ赴いたのかは書かれていない。

今年の夏は、NHKで初めて公開される資料や記録の特集が
続いているが、戦争や戦前のことについて、
私たちはまだまだ知らないことばかりと思う。

公文書や記録がいかに大事かを痛感すると同時に、
74年前というのは、ついこの間のこと、そう思えてならない。

すべての戦争犠牲者へ哀悼の誠を捧げ、
平和に心から感謝するとともに、
未来にその歩みをしっかりと継承していくために、
過去の歴史の事実にまっすぐ向き合うことを、改めて、心に誓う。