ラグビー南ア優勝と民主主義

昨日のラグビーW杯決勝は、南アフリカがイングランドを
32対12で制し、3度目の優勝を果たした。

Champions of the World、ほんとうにおめでとう!
そして、震えるような感動をありがとう。

(1度目は、初の黒人大統領ネルソン・マンデラが誕生した翌95年のW杯で自国開催時に初優勝)

映画『インビクタス/負けざる者たち』でも有名。ぜひ観てほしい映画の一つ。

日本代表が敗退した相手国が南アフリカだったからだけでなく、
東京オリパラで町田市が南アフリカのホストタウンであるからだけでなく、

初の黒人主将のシヤ・コリシ選手が率いるナショナルチーム
「スプリングボクス」の優勝は、胸にこみあげてくるものがある。

どれほどの勇気と希望を、この勝利は、
南アの人々はもちろん世界の人たちに与えてくれただろう。

それが、日本大会で実現したことは、日本人として素直に嬉しい。

かつてアパルトヘイト(人種隔離)の時代、南アのラグビーは、
白人のスポーツとして黒人には抑圧の象徴だったという。
しかし、マンデラ元大統領が、人種隔離政策から融和政策への象徴として、
ワンチーム・ワンカントリーを唱えて初優勝してから24年が経つ。

私は、1990年代後半から2000年初めにかけて、2度、南アフリカを
訪ねる機会があった。人権のこと、民主主義のこと、多様性のことなど、
強烈な印象を受けた国である。

人口8割を占める黒人にはなかった選挙権が付され、
すべての人種が参加する選挙で行われて誕生したマンデラ政権が、
ちょうど、「虹の国」づくりを進める変化の真っ只中だった。
アパルトヘイト時代の直後、憎悪の連鎖による「内戦」をいかに回避するか
という切実な空気感と新しい国への希望の両方を今でも思い出す。

11部族のすべての言葉を公用語にして議会でだれでも議論し
政策決定プロセスに参加できるよう環境整備したり、
人口8割を占める黒人の村々で平等な教育機会を得られるよう
改革を急ピッチで進めていた。

また、ツツ大司教のもとで指揮された「真実と和解委員会」による
加害と被害の対立を克服しようとする人々の努力をまえに、
一方で、歴史や背景は違えど、日本が戦後60年(当時)近く経っても
東アジアの人々と真の和解に至っていない状況について私は深く考えさせられた。
それが、政治を志す一つのきっかけにもなっている。

今まだ、国内の経済格差は著しく厳しい状況が続いているが、
それでも、かつてよりはよほど良いと、
南アのソウェト出身のテボゴさんは教えてくれた。

本日11月3日は、文化の日で、「町田発国際ボランティア祭り・夢広場」。

東京オリンピック・パラリンピックにむけて、
町田市は南アフリカのホストタウンとして事前トレーニングのキャンプ地に
決定していることから、NPO法人アフリカ協議会代表理事の津山直子さんと
市内に暮らすテボゴさんのトークが、今年のメインプログラム。

ちなみに、ネルソン・マンデラが初来日した時に同行通訳&コーディネートされ、
私が南アを訪れ旧黒人居住区ソウェトや金鉱山の労働者問題などでお世話になったのが、
当時日本国際ボランティアセンターで南ア在住だった津山直子さん。
NGO時代の大先輩で、10数年ぶりの再会に心から感謝。

今年も、SI町田-さつきでは、女性と女児の支援プログラムを出展。
(皆さん、お疲れさまでした!)


スポーツを通じた、文化、歴史、経済、交流など、相互理解こそ本丸(!)。

ラグビーW杯2019から、来年は、どんな東京オリパラになるか楽しみだ。