くしぶち万里(櫛渕万里)

1967年10月15日生
群馬県沼田市 出身

趣味 : 旅行、和歌
特技 : スキー(SAJ検定一級)、ダイビング(レスキュー資格得)
家族 : 夫、黒猫11歳(オテンバ娘です)
尊敬する政治家:石橋湛山、ネルソン・マンデラ
好きな言葉 : 「初志貫徹」
好きな本 :「モモ」
好きなもの:卵かけごはん、ムーミン

経歴

沼田市立沼田小学校卒業
沼田市立沼田中学校卒業
群馬県立沼田女子高等学校卒業
立教大学社会学部卒業
NGOピースボート事務局長
新党さきがけ「政治塾」専修科生
法政大学国連グローバル・コンパクト研究センター共同代表
明治学院大学国際平和研究所 客員研究員
民主党国会議員候補者公募試験合格
衆議院議員 東京都第23区(町田市・多摩市)
※予算委員会、経済産業委員会理事、環境委員会など歴任
小林秀雄に学ぶ「池田塾」二期生
全国ご当地エネルギー協会事務局長
東京都第22区総支部長(三鷹市・調布市・狛江市・稲城市一部)

現在、衆議院議員2期(れいわ新選組)
東京都第14区総支部長(墨田区・江戸川区北部)

『ともに生きる日本』を実現するために

祖父がはじめた、
『子どもの育ちをささえる幼稚園』と
祖母のめざした、
『女性の自立のための洋裁学校』の現場に
幼い頃から触れていたことが今の活動の原点になっています。

高校時代に、
「なぜ、男子と女子が別々に勉強するんだろう」と
ふと素朴な疑問をもち、

『女性の社会での活躍、偏見や暴力のない社会づくり』
いつか貢献しよう、自分ができることを探そうという
現在の基本理念が芽生えました。

大学時代には、
NIES諸国(韓国、台湾、シンガポール、香港)への技術移転について学びました。
日本が、東アジアの一員であることをつよく意識しはじめたのはこの頃です。

大学を卒業後、国際協力NGO『ピースボート』の職員として
アフリカ・アジアはじめ世界約80ヶ国をめぐりながら、実際に『肌で世界を』感じ、
自分の目と耳で世界を知る機会に多く出会いました。

そのなかでも、アパルトヘイト(人種隔離政策)が撤廃になったばかりの
南アフリカでマンデラ大統領が行った大改革とその精神に、
大きな衝撃を受けました。

各部族のつかう11言語を公用語にして多言語主義を採り、
議会ですべての部族の参加を可能にし、文化をまもりながら、
『お互いを尊重して国をともにつくる』現場を目の当たりしました。

これこそが『真の多様性』だと強い衝撃を受けました。

そんな政治の力を体験したことが、
後押しとなり漠然とした『何かをしなければ』から
『世の中の不条理をなくしたい』という思いに変わっていました。

その後、NGOで海外の現場で働きつつ、
外から日本をみた良いところ、悪いところを知るようになりました。世界一、乳児死亡率の低い日本で、なぜ自殺者が毎年3万人を超えるのか。
「いのち」をまもり、暮らしの幸福感の高い日本に変えたいと、つよく思うようになったのです。

そして政治の道へ

1995年、新党さきがけの政治塾で専修科生として学びはじめます。2006年、民主党国会議員候補者公募試験に合格し、
政治への道を一歩踏み出しました。

2007年、NGOを離れ、明治学院大学国際研究所(PRIME)客員研究員
及び、法政大学国連グローバル・コンパクト研究所共同代表として、

平和や紛争予防の課題や、
グローバル時代における企業の社会的責任などについて、研究しました。

2009年、衆議院議員選挙で、初当選し、
主に、地球温暖化対策と子ども・子育て政策に取り組みました。

日本で初めてとなる、再生可能エネルギーFIT法の制定に関わり、
「経済と環境の両立」する新しい社会の一歩となりました。

環境とは、まさに「いのち」の問題です。
子どもの成長、食と健康、地域と防災、
そして新しい経済や雇用の問題につながる大きな源です。

2011年3月11日の東日本大地震と原発事故は
決して、忘れることはできません。

新しい政治を作る

2022年、再び、国政に戻りました。
たった1人で政党を立ち上げ、
街角から人びとと新しい政治を始めようと挑戦する
山本太郎さんの姿に共鳴しました。

くしぶち万里が肌で感じる課題は、

  1. 子育て支援と教育
  2. 女性活躍
  3. 自然エネルギーの促進(原発ゼロへ)

原点回帰と再出発へ

すべての原点にかえって、
課題の現場に足をはこび、国民一人ひとりの声をお聞きする。

職場や生活現場の声をこそ届けられる、
届けなければいけないと熱い想いをもって再出発を図ります。

『ともにつくる』

いつでもどんなことでも、くしぶち万里へ
あなたの声を聞かせてください。

明るい未来を 子どもたちが幸せになれる国を
ともに生きる日本を。