【本会議】5月25日本会議「弁明演説」


5月18日の本会議壇上にて「与党も野党も茶番!」「闘う野党の復活を求めます」と訴え、紙一枚を掲げたことが「議院の品位」を乱したとされ、25日本会議で懲罰動議が提出され15分間の弁明演説を行いました。

①憲法が規定する国民の代表者として、やむに止まれぬ行動であったこと、
②国民生活を省みず、防衛増税や国民負担増の決定、原発推進など悪法が粛々と国会を通っていく危機的状況であること、
③徹底的な平和外交と国民生活の救済を優先すべきこと、
④闘う野党の復活が、政治の暴走を止めるために必要であること、
⑤健全な民主主義には政権交代が不可欠であること、
最後に、ケネディ大統領の「自己の仲間にも抵抗する勇気」を引用して、重ねて、闘う野党の復活を訴えました。
(※詳細は、下記の「演説全文」をお読みください)

多くのヤジが飛び交うなかで、最後まで演説をつづけるのは勇気がいりましたが、国会の危機を可視化させることは、国民の代表者として一国会議員の責務でもあります。

議会制民主主義において、圧倒的な数の力をもつ政府与党に対して、野党が提案型とか是々非々とか、耳障りのいいことを言いながら与党に擦り寄れば、最悪の事態として、国会は大政翼賛化していってしまいます。

小さな力ですが、あきらめずに言うべきことをきちんと言い続け、国民の生活と命を守るために、最前線で戦っていきます。

(写真:共同通信社)

◇◇◇ 演説全文 ◇◇◇
れいわ新選組のしくぶち万里です。

ただいま議題となりました、私を懲罰委員会に付するの動議につき、身上弁明を行います。まず、5月18日の壇上における行為について、議場の皆様におわびをいたします。

国権の最高機関である国会において、言論の府として議会制民主主義の根幹を支える院の秩序とルール、これは本来尊重されるべきものであることに深く同意いたします。私としても、考えに考え抜き、党の内部でも真摯な議論を重ねた結果、政治が暴走するその危機に対して、やむにやまれず今回の行動に至りました。

(国民の代表者として)
最後の決断として背中を押したのは、憲法の前文でした。

「国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」

言うまでもありませんが、国会議員は、国民の代表者としてこの議場に臨んでいます。国民の厳粛な信託に本当に応えているのか。国民は福利を享受できているのか。私たちは、国会の中でも外でも、常に国民のことを念頭に置いて行動しなければなりません。

個人の尊嚴や健康で文化的な最低限度の生活が、すべての人々に保障されるよう国会は機能しているのか。
平和主義を掲げた憲法の規範に沿つて、国会で徹底した議論が行われているのか。
すべての国会議員は公務員として、全体の奉仕者たり得ているのか。

今回もこのような自問自答を重ねました。先ほど述べましたとおり、院の秩序とルールは尊重されるべきものです。しかし、国会における秩序とルールを守ることと、国民の代表として求められている行動との間に大きなそごが生じた場合にどうすベきか。今回の私の悩みは全ての国会議員に共通するものではないでしょうか。

今から13年前の2010年5月12日、内閣委員会で国家公務員法改正案の採決が行われたとき、どうだったでしょうか。当時野党だった自民党議員が委員長席の周辺に詰めかけましたが、多くの方がプラカードを掲げられておりました。中には、天下り根絶をなぜやらないというプラカードもありました。再び自民党政権となって10年以上たった今、元事務次官や現役の航空局長など国交省ぐるみで天下りを強要してきた疑惑があることを考えると、誠に興味深いものがあります。

2015年7月15日、平和安全法制特別委員会はどうだったでしょうか。このときも、野党だった民主党議員が強行採決反対といったプラカードを持って委員長席を取り囲みました。これらのときに委員室に無許可でプラカードを持ち込んだ人は今もこの議場にいらっしゃると思います。中には、党の代表を務める方もいるかもしれません。

あのとき、議会の秩序とルールを守らなくていいのか、そうした葛藤を抱えながらも、こんな法律は絶対に通してはいけない、何としても止めなければいけないと、国民の代表として求められている姿の方を優先させた結果、委員長室での行動に至ったはずです。

ここで胸を手に当てて考えてみてほしいのです。
あのときほどの熱い思いで、今、国民のために闘っているのかと。


もちろん、国会は言論の府です。しかし、委員会や本会議で反対を討論する正攻法だけではどうやっても止めることができない、そうしたときにどうすればいいんでしょうか。

選挙で勝って議席を増やし、与野党の議席が拮抗してあらがえるようになるまでは、どんなに国民にとってひどい法律が作られても仕方がないと諦めるしかないのでしょうか。

(国会で次々と悪法が通っている)
岸田政権によって、閣議決定で、国の安全保障政策が大転換したり、東電福島第一原発の事故から12年しかたっていないのに、その教訓とした運転期間原則40年ルールを急に65年超えも可能としたり、国民のかけがえのない健康保険証を廃止しマイナンバーカードに一本化したり、迫害のおそれのある外国人を強制送還することを可能とするなど、今ほど危機的な状況はありません。

さらに、この間、防衛予算の大幅増の議論を進める上で、後期高齢者の医療保険料の負担を増やす法律が成立してしまいました。失業給付などに使われる雇用保険料の労働者負担も引上げ。コロナの五類化を受けて、現在は無料としている検査や外来、入院時の費用に患者負担を求めることも決まりました。そして、政府は、更なる負担増として、子育て支援財源を社会保険料の負担増で賄う見込みです。

こうした状況に対して、れいわ新選組は、委員会での質問はもちろんのこと、今年度の予算は組替え動議も提出し反対討論も行うなど、徹底して議論で闘ってきました。

限られた時間での質問は、1分1秒を決して無駄にすることなく議論してきました。

その上で、たった一人の小さな力でも、諦めずに、国民の生活と命を守るためにできることは何かと考え抜いて、やむにやまれず行動に及んだというのが今回の経緯です。

(防衛拡大・外交)
今、特に問題なのは、防衛財源確保法案です。五年間で四十三兆円の防衛費増額を行うためのものであり、その使途は、アメリカから言い値で大量の武器を買い、復興税の流用で被災地を無視した挙げ句、苦しんでいる国民に増税を押しつけ、日本を戦争経済でぼろぼろにさせる、絶対にやってはならないものです。

また、防衛産業基盤強化法案も論外です。これは、単に国内防衛産業の衰退防止だけではなく、海外への武器輸出を国が支援する内容や、戦後初の防衛産業の国有化を可能にする条項まで盛り込まれた、日本が複合的に軍需産業の促進に突き進むおそれのある、極めて問題の大きい法案です。

この国に生きる人々の暮らしよりも日米防衛協力の強化にお金が流れ、防衛装備品の輸出の支援によって日本全体が「戦争経済化」していく、すなわち、死の商人となりかねません。

安保三文書によって平和国家としての日本のありようが180度変わり、専守防衛は脅威対抗型の安全保障戦略と形を変える。敵基地攻撃能力の保有を可能とし、日米一体化の下、米国が始める戦争の最前線に沖縄が、日本が立たされることになります。そのときの壊滅的な被害を、今でさえ苦しむ国民の暮らしのことを僅かでも想像して、これら予算や法案の採決に臨んでいるんでしょうか。

確かに、我が国の周辺の安全保障環境は厳しさを増しています。しかし、それに対して「武力には武力を」、「核兵器には核兵器」をのごとく、防衛能力を拡大し、更には核抑止の拡大や核シェアリングが進んでしまえば、日本を含む北東アジアが核軍拡競争の新たな火種の地域になりかねません。

私は、昨年、ウィーンで開かれた核兵器禁止条約の第一回締約国会議に出席しました。そこに集まる国会議員会議でその懸念を伝えたところ、NATO加盟国の議員からは「日本で核共有の議論があるというが、核兵器がシェアされることはあり得ない、核保有国の兵器が押しつけられるだけで、押しつけられた側には何の権限も与えられない」という声がありました。そして、会議声明では、核抑止と核シェアリングを安全保障政策として正当化する動きを深刻に懸念すると表明が出されています。

また、先日は、超党派で構成される北東アジア非核兵器地帯条約を推進する国際議員連盟のソウル会議へ先輩議員の先生方と参加し、韓国の国会議員と議論をしてきました。朝鮮半島で更に高まる危機を共有し、今こそ、この北東アジアを「核の傘」から「非核の傘」にしていく努力が必要であることで一致し、地域に共通の安全保障の枠組みをつくるその努力をしていこう、その必要性を確認し合いました。

平和憲法と非核三原則、これを持ち、唯一の戦争被爆国である日本が、二度と戦争をせず、国の確かな安全保障と、地域の平和と安定に貢献できる道は何か。

アメリカに追従するだけではなくて、時代の危機感を共有する全ての人と知恵と力を出し合い、もっと国会で真剣な議論を尽くし、国民の命と尊厳を守るために、私は、あらゆる努力と行動をしていく決意です。


(国民生活の困窮・内政)
そして今、何よりも政治がやらなければいけないことは、この国に生きる、今苦しんでいる人々を救うことです。

我が国は30年も賃金が上がらない。日本だけが経済成長していません。

コロナになる前から、生活に苦しいという人が五四%、母子世帯では87%。また、子供の7人に1人が貧困と、G7ではアメリカに次いでワーストツーです。

さらに、年金支給額がどんどん減らされた結果、年金だけで生活していると答えている高齡者は、今や四分の一以下になってしまいました。

そのうえに、コロナと物価高で、いわば、三重苦と言える非常事態に国民生活は陥っているんです。

実質賃金は十二か月連続でマイナス。昨年一年間に自ら命を絶つた人たちは、全国で21881人、小中高生の子供の自殺者は過去最多の人数を記録しました。

これから夏が始まるのに電気代が最大40%も高くなるなど、国民を熱中症で死なせてしまうのですか。秋には、インボイスでフリーランスや事業者に増税を課して、廃業させてしまうのですか。少子化対策で社会保険料の負担増とすれば、子供はますます減っていくでしよう。そうなれば、国家自滅の道です。

なぜ、海外の輸入を守るために、牛を殺し、酪農家を離農させてしまうのですか。食料自給率はたつたの38%。余った乳製品を政府が買い取って、それを生活の苦しい人々に配る救済策を行えばいいではありませんか。

食料も自国で確保できない政権に、安全保障を語る資格があるのでしようか。
「砲弹あるけど食料がない」、それは、先の大戦の歴史の教訓ではありませんか。

アメリカから武器を爆買いし、ミサイルや銃はそろえるけれども、国内に目を向ければ、86歳のお年寄りがコンビニでおにぎり一個万引きして逮捕される、それが今の日本社会の現実です。あまりにもおかし過ぎます。

(闘う野党の復活を)
なぜ、政府は、防衛費倍增に素早く財源を確保するのに、国民や事業者や酪農家を救うために財源は確保しないんでしょうか。

なぜ、原発推進のために大量の新たな国債を発行するのに、子供たちのために、少子化を克服するために、積極財政で人に投資をしないんでしようか。

やれば、すぐできるんです。本気になれば、やれるのです。それが岸田政権の財政運営で分かったのですから、徹底的に、野党が一丸となって、この国に生きる全ての人々の権利と生活を守るために闘おうじゃありませんか。

それを国会の中でも外でも可視化できるように、行動を起こそうじゃありませんか。

そして、日々の生活に追われ厳しい現場を必死に生き抜いている人たちと手を取り合い、政治を変えていく、これが民主主義ではありませんか。

それをリードするのが、国民に負託された国会議員の役割、国会の現場を知る議員の務めであると信じて行動してきたのが、繰り返しますが、私の今回の行動の真意であります。


(なぜ政治家を志したのか。政権交代と民主主義を)
私は、今回のことを機に、自分が最初に政治を志したときのことを思い出してみました。NGOで17年間、人道支援や平和構築の活動に携わり、友人にも血縁にも政治家の全くいない環境で育った私が政治を志した理由、それは、政治の力で命を救えるからです。

戦争をさせない、貧困で苦しむ人に手を差し伸べる、環境破壊を止める、すなわち、全ての生きる力を支えることのできるのが政治である、そう信じてこの世界に飛び込みました。

もう一つ、理由があります。

世界80か国の現場を行きながら気づいたのは、日本が、先進国でありながら、ほぼ一党の長期政権が続いて政権交代の文化がない、つまり、健全な民主主義が機能していないということでした。

そして、独裁や軍事政権から民主政権を樹立した他国の人々や、成熟した民主主義が確立している国々の人々と対話をして気づいたことがあります。それは、闘う野党がなければ、民主主義は機能しないんだということです。

今回、G7サミットが開かれました。自由と民主主義の価值を共有するとしているG7の中で、政権交代の政治文化が定着していないのは日本だけです。

選挙があれば民主主義なのではありません。民主主義の目的は、政治が常に国民の手の中にあるということです。そして、政治は、常に国民のことを考えているという状況にあることです。

選挙があるのに政権交代がないということは、選挙そのものが目的化・政治化していることであり、闘う野党の不在が、民主主義を後退させ、この日本を衰退させてきたのではないでしょうか。

歴史の大きな転換点に、国民から負託を受けた国会議員として、私は、改めて、いま一度勇気を出して、議員の皆さんに呼びかけます。

闘う野党を復活させ、苦しんでいる国民の生活と命を救おうではありませんか。
日本の民主主義を正常化させて、政治の暴走を止めようではありませんか。

闘う野党の復活、それ以外に、政治の暴走、国家の衰退を止める手段はありません。

(抵抗する勇気)
最後に、ケネディ大統領の言葉を紹介します。

「我々は真に勇気のある人間であったか。敵に対抗する勇気のほかに、必要な場合には自己の仲間に対しても抵抗する、それだけの勇気を持っていたか。」

私の壇上での行動に、なぜ連帯すべき野党まで批判したのかと問われることがあります。しかし、冒頭に述ベたとおり、国会議員は国民の厳粛な信託を受けています。真の連帯とは、単なる仲間意識によるものではなく、国民の信託によってつながるべきものであると考えます。ならば、仲間である野党が国民の信託に十分に応えていないと判断したときには、仲間に対しても抵抗することこそ、自己に与えられた役割ではないでしょうか。

議会のルールや秩序も重要ですが、本当に応えるべきは国民の信託であるとの意識を呼び覚まし、闘う野党の復活、そのことに少しでもつながるものではないか、こうした考えに基づく行動でありました。

以上、行き過ぎた面があった点は改めておわびするとともに、やむにやまれぬ行動であった、そのことを、是非ともその真意をお酌み取りいただき、そうお願いいたしまして、私の身上弁明といたします。

以上


(その後、5月31日懲罰委員会での弁明を経て、6月1日本会議で「登院停止10日間」の懲罰が決まりました。採決のとき、議長から議場退場を指示された時の様子です。6/1に追記しました。)