核兵器禁止条約に署名・批准を。

 

 

76年目の広島・長崎の原爆の日。

今年の8月6日は、「核兵器禁止条約」が発効して初めて迎えた原爆の日、となります。

広島と長崎で被爆された方や、日本はじめ世界のNGOや心ある国々が力をあわせて、この国際条約はついに今年1月に発効しました。被爆者の方々の苦しみと長年の核廃絶運動、そして、それを支えてきた多くの団体や市民的運動のプロセスを振り返ると深い感慨に包まれずにはいられません。

私も、NGOピースボートで事務局長を務めていた頃に始めた一つのプロジェクトがありました。

それは、広島と長崎の被爆者の方々に地球一周の船にゲストとして乗っていただき、世界各地で核兵器の持つ「非人道性」を知ってもらう活動でした(今でも、後輩たちが継続しています。それが、ICANのノーベル平和賞受賞につながるという活躍の一助になり、その後の同僚や後輩たちの努力に心から敬意を表したいと思います)

「原爆展」を世界各国で行う、という試みも度々行なっていました。なかなか想像してもらいにくいかもしれませんが、世界各地で「原爆展」を行い、被爆者の話を聞いてもらうことは、日本で考えるほど容易なことではありません。

特に、アジアの国々や米国の各地、つまり、アジア太平洋戦争で日本の敵国として多くの犠牲を強いられた国々の市民からすれば、日本は完全なる加害国であり敗戦国だからです。

そのような現場を経て、しかし、被爆者の方々の証言とその残酷な実態の圧倒的な事実が、戦争の加害と被害を超えて、原子爆弾という非人道的な無差別大量殺戮兵器は廃絶すべきものであるという世界共通の理解が生まれ、2017年に国際条約として国連で採択され、人類史に新しい歴史がスタートしました。

戦争で原爆被害に遭った事実を語れるのは、歴史上、世界中で日本しかいません。いかに現在、核の傘に守られようとも、核兵器禁止条約に署名・批准し、その非人道性を伝え続け、核保有国との対話の先頭に立つことが日本のとるべき道であると思います。

それが、原爆の犠牲者はもちろん、アジア太平洋戦争で犠牲になったすべての人々を追悼する道であり、未来の平和を創っていく道であると、私は確信しています。