第1回・東京22区おしゃべり会開催

9日、朝からポスター貼りで活動した後、夕方から「第1回・東京22区ソーシャルディスタンスおしゃべり会」を開催しました。
(*東京22区:三鷹市、調布市、狛江市、稲城市の一部)

第1部では「いのちとは?」をテーマに、みんなで自由な意見交換をし、れいわの政策について深める機会となりました。第2部では、東京22区で一緒に活動してくださっているボランティアの皆さんから感想や今後の活動への提案をいただきました。参加くださった皆さん、ありがとうございました!

このかん、7月には「命の選別」発言をめぐる問題が持ち上がり、京都ではALS難病患者の女性が医師によって殺害されるという衝撃的な事件があり、社会的に大きな波紋を広げています。

事件が起きた直後、舩後靖彦参議院議員は、
「『死ぬ権利』よりも
『生きる権利』を守る社会にすることが大切だ」、

とすぐのコメントを発表しました。このような時代に、れいわ新選組が、ALS難病患者の舩後靖彦さんと重度障がいのある木村英子さん2名を国会に送り出したことの意義を、改めて、実感します。憲政史上初というだけでなく、文明史的な出来事であると、私は感じています。

この日は、ちょうど新聞掲載された舩後さんの論考も資料配布させていただき、みんなで考えました。


東京22区のボランティアの仲間のなかには、医療や介護の現場で日々働くプロや、家族を在宅介護しながら切実な問題を抱えている同世代の方がいます。それぞれの経験や問題意識を共有しながら多くの学びがありました。

・食道ろうで生きる父親を介護する家族にとって預ける施設がない。介護老人保険施設(老健)だと3ヶ月だけ、月25-30万円もかかる。生きることがお金の問題に直結していること。

・社会福祉法人の特養や医療法人の老健だけでなく、介護医療院もあることがあまり知られていないこと。

・情報が不十分な中で、自分でケアマネはじめ医療介護方法を選ばなければいけないのが一番の不安で問題であること。
→介護保険システム導入時に、適切なケアマネを選べるよう情報集約拠点をつくり専門性ある人とマッチメイクできるマネジメントをしていくはずが、出来ていない問題。

・QOL(クオリティ・オブ・ライフ)が大事であること。死に向きあうことは、どう生きるかを考えること。生きられる社会をつくることが政治の役割。外の要因は政治でなくすべき。

・生死を決めるのは、あくまで本人。政治ではない。現在の日本の政策は「死の選択」を求める状況で、「生の選択」になっていない。安楽死を認めている国は長い歳月をかけて生きることを前提にした民主的な議論の土台がある。

・欧州では自分の終末期について書面で残す、「アドバンス・ケア」の取り組みがある。小さい時からそのような教育を受けるしくみがある。

◇◇◇

2016年の相模原・津久井やまゆり園事件の植松被告の動機には、本人が、日本の借金大国への危機感から社会保障に多額のお金をかけている現実を憂いていた背景があると言われています。

京都の事件でも、逮捕された医師の一人は、高齢者への医療は社会資源の無駄であり、寝たきり高齢者はどこかに棄てるべきと優生思想的な主張を繰り返し、安楽死法制化にたびたび言及していたと報道されています。

このままでは日本の財政が破綻する、
お金がないから命を切り捨てる、
という同じ構図が、二つの事件には共通しているように思えます。

ほんとうに恐ろしく、憤りを覚えます。

政治はなんのためにあるのでしょうか。

国の緊縮財政の考え方を根本から変えて、
「人への投資」を増やし、
ひとり一人の「生きる権利」が守られる政治に
しっかり舵を切ることが必要ではないでしょうか。

「いのちとは?」という、深く大切なテーマであり、話は尽きませんでした。

引き続き、東京22区で、このような議論を積み重ねていく場をつくっていきたいと思います。